この前、イヤフォンで音楽を聴きながら久々に本屋に立ち寄ってみて、目に止まった本をパラパラと読んでいたら、とある一節が目に飛び込んできました。
それは、こんな言葉でした。
「あなたは他者の期待を満たすために生きているのではないし、わたしも他者の期待を満たすために生きているのではない。他者の期待など、満たす必要はないのです。
自分が自分のために自分の人生を生きていないのであれば、いったい誰が自分のために生きてくれるだろうか。」
最近僕が、改めてヒシヒシと感じていることそのものズバリを言い表してくれていました。
人はだれしもが、「みんなから嫌われたくない」という気持ちを持っていると思います。その気持ちは自然なことだし、別に悪いことではないと思うんですが、ときにそれが自分の本心を噛み殺してしまうことにつながってしまったりします。
- 本当は自分はこう思ってるけど、親がこうしろっていうからそうしよう
- 本当はこれはやりたくないけど、先生がやったほうがいいっていうからやろう
- 本心ではないけど、上司の機嫌を損ねないように、こう言っておこう
- 本当はこれをして遊びたいけど、友達と違う意見だから言わないでおこう
- 自分は本当はこう思ってて、これをやりたいと思ってるけど、周りの目が気になるからやめておこう
- 本当は…
そうやって、相手の機嫌や世間の目を気にして、自分の本心をきちんと伝えることができなかったり。
さらにいえば、相手の機嫌を伺いながら相手の期待を満たすように行動してしまったり。
それで、後になって「あー、本当はあれやりたくなかったのになぁ」と後悔したりして。
そして、1日のうちの自分の行動を振り返ってみてみると、案外そうやって「他人の期待を満たすためにしてる行動」が大半を占めていたり。
でもそれってどうなんだろう?と僕は思いました。
そもそも、「みんなに嫌われたくない」という気持ちって、「みんなに認めてもらってたい」っていう承認欲求からきていて、もっといえば承認欲求は「自分の存在には価値があるということを感じていたい」という心理からきてるわけです。
でも実は、たとえ誰にも認められてなかったとしても、人は誰しもがそこに存在してるだけで価値があるので、自分の価値を見出すためにわざわざ他の誰かに認めてもらおうとする必要なんてないんです。
人に認められようとして他の誰かの期待を満たすための行動ばかりとっていたら、他の誰かの人生を生きていることになってしまいます。
でも本来、自分の人生は自分の人生を輝かせるために精一杯生きるべきなんじゃないかと、僕は思いました。
冒頭の、本に書いてあった言葉
「自分が自分のために自分の人生を生きていないのであれば、いったい誰が自分のために生きてくれるだろうか。」
っていうのは、まさにその通りだと思います。
たった1度しかない自分の人生なのに、他の誰かの人生を生きてる暇なんてない。
僕は強くそう思ってます。
他の誰かの人生を生きて失ってしまった時間は、1秒たりとも取り戻せないから。
本屋でそのときに聴いていたBUMP OF CHICKENの流星群という曲に
「たとえ誰を傷つけても君は君を守ってほしい」
というフレーズがあったんですが、この歌詞でもそういったことを言いたかったんじゃないのかなと、自分の中で解釈しています。
「ときには他の誰かの期待なんて裏切ったっていいんだよ。だから君は君の人生をちゃんと守ってあげてほしい」
みたいな風に、僕には聴こえました。
というか、実際のところ、自分が思ってるほど自分のことなんて周りから大して期待されてないし、気にもされてないんですよね。
だから、自分の思ったこと言えばいいし、思ってないことは無理に言わなくていいし、やりたいことはやればいいし、やりたくないことからは逃げたっていいし、好きなように生きればいいと思うんです。周りの目とか社会のしがらみとか、そういった自分の行動を制限するような類のものはすべて自分が勝手に思い込んでる幻想にしかすぎないと思うので。
「誰も気にも留めない 逃げ出したって追わない
僕らがこのまま消えたとしても」
というフレーズも同じ曲の中にあって、これは一見するとネガティブで悲しいことに聞こえるけど、このフレーズが本当に言いたいのは
「だれもお前のことなんか気にしちゃいないんだから、自由に好きなように生きてこうぜ♪」
みたいなポジティブな意味合いなんじゃないのかなと、またまた勝手に解釈しています。
PS.今日紹介した言葉は「嫌われる勇気」という本からの一節でした。見かけたらちょっと立ち読みしてみてもいいかもしれません。