こんばんは、ひろつぐです。
僕は”あること”を知ってから、
誰かを怒らせたり傷つかせたりすることが少なくなったし
自分が怒ったり傷ついたりすることも少なくなったように思います。
その”あること”とは何かというと“シニフィエとシニフィアン”っていう概念です。
今日はこの”シニフィエとシニフィアン”について話してみたいと思います。
シニフィエとシニフィアンとは何かというと、
・・・
まぁ言葉で説明するのはなかなか難しかったりするんで
一瞬でわかる図があるのでそれを見てもらいたいです。
これを見ればわかったかと思うんですが、
(ウィキペディアさんから画像を拝借)
シニフィエが「気持ちとか概念とかイメージ」とかで
シニフィアンが「言葉とか文字」です。
「で?それがどうした?」
って感じなんですが、この話を聞いたときに僕は衝撃を受けました。
「あっ、自分の頭の中のことは、一生誰とも完全に共有することなんてできないんだ」
って絶望したんです。
だって、
僕らは、頭の中で考えたことや見えたこと(シニフィエ)を
誰かに伝えようとするときには、
言葉とか文字とか(シニフィアン)にして伝えるしか手段がないからです。
当たり前だけど、
自分の頭の中で見えたことを、そのまま相手の頭の中に全く同じものを見せることはできないんです。 (超能力者とかテレパシーとか使えるっぽい人は除く)
例えば、
僕は頭の中でこんな感じの犬を想像してたとします。
(なんだこの「へい兄ちゃん」的な犬は)
でも、僕がそれを誰かに伝えたくて「犬」って誰かに言ったとしても、
その人の頭の中ではこんな感じの犬に変換されてしまうかもしれません。
(なんだこの「つーけまつーけまつけまつけーる♪」的な犬は)
イメージとしてはこんな感じです。
自分の頭の中の
「犬」のイメージ(自分のシニフィエ)
↓
「犬」と伝える(シニフィアン)
↓
「犬」と相手の耳に届く(シニフィアン)
↓
相手の頭の中で
「犬」を想像する(相手のシニフィエ)
ここで自分のシニフィエと相手のシニフィエが完全に一致することはありえません。
同じ「犬」っていう言葉でも、人によってイメージがそれぞれ違うからですね。
また、逆も然りで、
相手が「犬」って言っても自分の中では全く違う「犬」に変換されちゃうかもしれないです。
つまり、
「自分の言葉の本当に意味なんか、8割相手に伝わってないかもしれないし
相手の言葉の本当に意味だって、8割自分に伝わってないかもしれない」
ってことに気付いてしまったんです。
でも、普段そんなこと考えてる人って少ないと思います。
「自分が今言ったこの言葉は、
自分の思ってる通りにほんとに伝わってるんだろうか?」
「相手が今言ったこの言葉は、
相手が思ってる通りに自分は受け取れてるんだろうか?」
こんなこと考えながら生きないですもんね普通(笑
でも僕はこのことに気付いてしまって、一時期
「どうせ自分の頭の中のことなんか、完全に誰にもわかってもらえないんなら
もう伝えようとしなくたっていいや」
とか絶望してしまって、無気力に生きてたときがありました。
「なんてことに気付いてしまったんだ、知らなきゃ良かった・・・」
って、勝手に打ちひしがれてました。
でも、その絶望もそう長くは続きません。
最強につまんなかったんですほんと笑
そうですよね、だって、
誰も自分のことを理解してくれる人なんていないって
勘違いしてたら、最強につまんないし、しんどいです。
結局、だれかに自分のことをわかってもらいたいのが人間なんだなって
このとき思い知らされました。
そして僕はこう考えるようにしたんです。
「8割自分の言葉が伝わってないんなら、
自分の頭の中のことをしっかりと伝えられるように、
いろんな言葉を知ったり伝え方を考えればいいんだ!
そうすれば100%わかってもらえなかったとしても、
限りなく100%に近く伝えることができるようになるかもしれない!」
それから僕はなるべくいろんな言葉を覚えようと思うようになって、いろいろ本を読んだりするようになりました。
「絶望から生まれる希望」ってやつですね。
僕の好きな”魔法の料理”(BUMP OF CHICKEN)という歌に
「大きくなるんだ 伝えたいから
上手に話して知ってほしいから
なんて言えばいい 何もわからない」
っていうとても好きな歌詞があるんですが、
まさにこういう感じでした。
(とても素敵な曲なんでぜひ聴いてみてください)
そして、
「自分の言葉の本当に意味なんか、8割相手に伝わってないかもしれないし
相手の言葉の本当に意味だって、8割自分に伝わってないかもしれない」
っていうことはしっかりと受け止めて理解したうえで、
もうそれを前提に生きてやろう、と思うようになりました。
すると、あら不思議。
誰かを怒らせたり傷つかせたりすることも少なくなったし
自分が怒ったり傷ついたりすることが少なくなったように思います。
これは僕が
「自分の言葉の本当に意味なんか、8割相手に伝わってないかもしれない」
ということが前提にあることで、
言葉を発するときに
「この言葉は自分の伝えたいシニフィエをしっかりと表現する言葉かな?」
とか考えて、言葉を慎重に丁寧に選ぶようになったことで、
変に誤解させて怒らせたり傷つけたりしなくなったからなんじゃないかと思うし、
「相手の言葉の本当に意味は、8割自分に伝わってないかもしれない」
ということが前提にあることで、
人の話を聞くときに
「相手が今言ったこの言葉は、ほんとはどういう意図で言ったんだろう?」
とか考えて、相手の言葉の背景とかを注意深く知ろうとするようになったことで
変に誤解して、怒ったり傷ついたりしなくなったからなんだと思います。
そこで僕は
「もし世界中の1人1人の人が、これを前提に生きるようになったら
喧嘩も争いも戦争もなくなるんじゃないか?」
とも思うようになりました。
争いごとの多くが、”意見の食い違い”から生まれるものだと思ってますが、
それはただ単に、人それぞれ言い回しとか表現の仕方が違うだけであって、
みんな結局言いたいことは一緒なんだと思うんです。
結局はみんな自分のことをわかってもらいたいだけだし、
良い気分で生きていたいだけなんだと思います。
だから、この
「気持ちと言葉は完全に一致させることはできない
(シニフィエとシニフィアンを完全に一致させることはできない)」
ってことさえ理解していれば、
「今あいつはおれに”キモい”って言ったけど、
ほんとはおれのことが好きだからそんなこと言ってるんだな」
「今この子は”眠い”って言ったけど、
なんで眠いんだろう?
あ、そいえば、昨日徹夜で勉強がんばるって言ってたから眠いんだな
じゃあ”お疲れ”って言ってあげよう」
「今おれは”シニフィエとシニフィアン”について、多くの人にわかってもらいたいから
犬を例にして画像とか使ってわかりやすく伝えてみよう」
みたいな感じになることで
食い違って争わないどころか、ある種の思いやりみたいなものも生まれてくると思います。
だから僕は、
自分の気持ちを99.9%伝えられるようになるためにも
相手の気持ちを99.9%感じとれるようになるためにも
これからもいろんな言葉を覚えていきたいと思うし
いろんな伝え方を覚えていきたいと思っています。
(そのひとつの方法が”歌”や”音楽”だったりします。)
ということで、シニフィエとシニフィアンのお話でした!
ではでは!
PS.
僕の好きな歌詞に
「人と話したりすると気づくんだ
伝えたい言葉がないってこと
適当に合わせたりするとわかるんだ
伝えたい気持ちだらけってこと」
っていうのがあって、
最初は
「”伝えたい言葉がない”ってどういうことだ?」
とか思ってたけど、
伝えたい”言葉”じゃなくて伝えたい”気持ち”があるってことなんだってわかりました。
この歌詞は、本日2度目の登場の
BUMP OF CHICKENの「supernova」って曲です。
この曲もほんとに素敵な曲なので
「魔法の料理」と一緒に聴いてみてもらいたい曲です。