こんばんは、ひろつぐです。
早いものでもう10月ですね。
中学校のときの国語の先生が
毎回手書きの学年通信で
「光陰矢のごとし」
と書いてくれたのをふと思い出しました。
そのときは、
意味わからん!とか思ってたけど
年をとるにつれて
どんどんその言葉の重みが増すのを感じます。
(おじいちゃんか)
前置きはこのくらいにしておきましょう。
(前置きの雰囲気もおじいちゃんか)
ということで、
ちょっと間が空いちゃったけど
今日は、好きな音楽を聴きながら
仕事をしていたときに、ふと
「ん?ふむふむなるほど、ふむなる。。。」
と思ったことがあるので、
ちょっと文章にしてみようかと思って
カタカタとキーを打っております。
これは結構、前々から
ずっと思ってたりしてて
でも、
うまく伝えられるかわからなくて
今まであんまり人に話したことは
なかったりすることなんですが、
僕は、
【外界は内界の原因ではなくて結果である】
という言葉をどこかで聞いたことがあって
僕自身も今そう思っています。
「なんのこっちゃ?なんてこった?パンナコッタ?」
って感じだと思うんですが、
(僕も最初聴いたときはパンナコッタでした)
僕の今日聴いていた音楽の歌詞の中に
こんなフレーズがあります。
「晴天とは程遠い終わらない暗闇にも
星を思い浮かべたならすぐ銀河の中だ♪」
はい、BUMP OF CHICKENの「ray」という曲です。
この歌詞の意味をよくよく考えてみたんです。
「いやいや、所詮は歌詞なんだからよくよく考えなくていいよ」
とか言われちゃいそうですが、
よくよく考えちゃったものは仕方ないです。
(普段気にしないようなところに
大きな気付きがあったりもするしさ)
この歌詞、正直
とんでもないこと言ってる気がします。
もし友達とかが普通にこんなこと言ってたら
ただただイタイだけのロマンチストキチガイ野郎ですよね?笑
だって、
——-ロマンチストキチガイ野郎劇場 開演——-
ray子ちゃん
「きゃー停電だ!暗い!怖いよ~~~!!!」
池簿くん
「まぁまぁ落ち着いて、怖くなんかないぜ(イケボ)」
ray子ちゃん
「えっ?池簿くんは怖くないの?」
池簿くん
「あ、おれ?うん、全然怖くないさ。
だってほら、心の中に星を思い浮かべてごらん?
そうすればいつだってそこは銀河の中になるんだぜ(イケボ)」
ray子ちゃん
「え、ほんと!?やってみる!
・・・
ほんとだーーー!!!
(ってなるかボケ!!!暗いもんは暗いんだよアホなす!)」
池簿くん
「だろだろ?
あっ、ところで知ってた?
イケてるボイスのことを巷では
“イケボ”っていうらしいぜ。
偶然おれの名前と同じだなんて
やっぱりおれってイケボ!!!(イケボ)」
ray子ちゃん
「うんほんと池簿くんてイケボだね!!!
あっ、ダジャレみたいになっちゃった♪おもしろ~い♪
(どこがイケてるボイスじゃ!
お前なんかゲスなボイスだわ!ゲスボゲスボ!!!)」
——-ロマンチストキチガイ野郎劇場 終演——-
って言ってるのと同じなわけです。
ちょっと楽しくなって、
会話が盛り上がっちゃったんですが、
この会話を出した意図は、要は
【暗くても明るいと思えば明るくなる】
っていうことです。
(この一行のためだけの不毛な会話。。。)
こんな池簿くんみたいなことを
友達が言ってたら、
「いやいや、真っ暗なんだから真っ暗でしょーよ笑」
って、ray子ちゃんの心の声みたいに
言いたくなっちゃいますよね。
でも、
いくら周りの人から真っ暗闇に見えてようが
本人が銀河の中にいると思ってるんなら
それはそれでだれも否定できないことだと、
僕は思います。
周りからしたら
「どう見ても真っ暗の中なのに、
銀河の中とか言ってるなんて、
あいつはどうかしてる」
って思うかもしれないけど
本人からしたら、
「どう見てもキラキラ銀河の中なのに、
真っ暗の中とか言ってるなんて、
みんなどうかしてる」
なわけです。
まさにコペルニクス的転回ってやつですね笑
で、ここで、
本当は明るいのか、
それとも真っ暗闇なのか、
白黒はっきりつけたがる人って多いと思うんですが
ぶっちゃけそんなことはどっちでもいいことだと思います。
(というか本当はどっちなのかなんて誰にも証明できない)
結局のところ、1番大事なのって
【自分がどう思うか】
ってところなんだと思います。
周りがどう言おうが、結局最後に判断を下すのは自分です。
つまり、
自分が真っ暗だと思ったなら真っ暗だし
自分が明るいと思ったなら明るいんだと、
そう僕は思うわけです。
もっと正確に言えば、
自分が真っ暗だと思ったなら真っ暗に見えてくるし
自分が明るいと思ったなら明るく見えてくる、
って感じです。
リーガルハイっていう
僕の好きなドラマがあるんですが、
その中でも
「人は見たいように見、信じたいように信じる」
みたいな言葉があったんですが、
まさにその通りだと思います。
何が言いたいかと言うと、
「黒を白と思い込め!」
とかそういうわけではなくて、
この場合、どうせ停電で
真っ暗で怖いと感じながら
同じ時間を過ごすんなら、
勝手に明るいと思い込んで
楽しく過ごした方がいいよな~って
そうゆうことです。
(もちろん、暗いのが好きな人ならそれはそれで)
もし、真っ暗をほんとに明るいと
“完全に”思い込める人がいたら、
すべて自分ご都合主義に
捉えることができるから
その人は人生最高に楽しいでしょうね笑
それから、これって、
人間関係でもよくあると思うんですが、
「あの人ってなんか嫌いだな」
って思ってると、その人の嫌な部分ばっかり目に入ってくるし
「あの人ってなんか好きだな」
って思ってると、その人の良い部分ばっかり目に入ってくるもんですよね。
だから、
その人が嫌な人だから
嫌いになったわけじゃなくて、
その人のことを嫌いだと思ってたから
嫌な人に見えてるだけなんだと思います。
試しにやってみると面白いんですが、
目を閉じて、10秒間くらい
「丸くて赤いものはどこですか?」
って思ってから、目を開けてみてください。
目を開けた瞬間に、丸くて赤いものが目に入ってくるかと思います。
そのときになければ
そのあとも無意識で探し続けて、
ふとした瞬間に
「丸くて赤いものあった!」
って見つけると思います。
それと一緒で、
人は意識してるものしか
見えないようにできてるんです。
そう考えると
全部が自分次第なんだって
思えてきたりしちゃいます僕。
ちょっと話がそれましたが、
その人間関係の話みたいに
多くの人は多分、
外界(外側の世界)で
嫌なことが起きたりすると
内界(内側の世界)の自分が
嫌な気分になったりするかと思います。
逆に
外界で良いことが起きたりすると
内界の自分が良い気分になったりするかと思います。
つまり、多くの人が
【外界が内界の原因】
と思ってるはずです。
(外側で起きた出来事が内側(心)を左右してるってことですね。)
でも本当は逆で、
内界の自分が嫌な気分でいると
外界で嫌なことが起きて、
内界の自分が良い気分でいると
外界で良いことが起きるんだと
そう思うわけです。
つまり、1番最初に言ったパンナコッタな
【外界は内界の原因ではなくて結果である】
っていうのはそういうことです。
(自分の内側の状態が外側の出来事を左右してるってこと)
このことに気づけたときに僕は
外的要因(外側の世界の出来事)に
いちいち感情を左右されないようになりました。
そして、
大半の”悩み”と呼ばれるようなことから
一瞬にして解放された気がしました。
というのも、
「今日は曇りか、なんだか気分が重たいな~」
→自分の世界では快晴の空だと設定すればいいだけ
「彼女が浮気してるかもしれない~~~泣」
→自分の世界では浮気してない設定にすればいいだけ
「通帳残高ゼロ!?あ~億万長者になりたいなー」
→自分の世界では通帳残高がたまたま0なだけの億万長者という設定にすればいいだけ
「あの人は多分自分のことが嫌いなんだ!!!」
→自分の世界ではめちゃめちゃ好かれてると設定すればいいだけ
「あの子はきっと自分のことなんか興味ないんだ・・・」
→あの子はきっと自分のことが好きで好きでしょうがないんだと設定すればいいだけ
って考えるようになったからです。
設定するという表現が、
なんとなく自分的にしっくりきたんで使いましたが、
“勘違いして思い込む”っていう感じです。
誰がなんと言おうとも、です。
「そんなんただのイタイ奴じゃん!!!」
って言われそうですが、
この”勘違い”とか”思い込み”の力って結構大きくて、
思い込んでおいたら
本当にそうなっちゃったりするもんだと思います。
普段生きてたら、嫌なこととか、
テンション下がることとか
いろいろ起こるかもしれないけど、
僕はそんなもんに
いちいち振り回されたくないし、
振り回されてる時間が
もったいないと思ってしまいます。
死ぬまでの時間なんて
限られてるわけだし、
その大切な自分の時間を、
そんな外的要因ごときのせいで
無駄にしたくないと思ってます。
でも、こんな感じに身の回りに起こること全部を
自分の都合の良いように思い込んで勘違いしておけば
いちいちそういうものに振り回されなくて済むし、
単純に毎日が楽しくなるんじゃないかなって思います。
だからこそ、
「晴天とは程遠い終わらない暗闇にも
星を思い浮かべたならすぐ銀河の中だ♪」
っていう歌詞は、
ほんとにその通りだなって思ったし、
【外界は内界の原因ではなくて結果である】
っていう言葉もパンナコッタじゃなくなりました。
そんなことを言いつつも
それでもやっぱりまだ
嫌なことがあって落ち込んじゃうときとかもあるので
そんなときはこのことを思い出して
自分の都合の良いように思い込んで
自分の気持ちを切り替えたりしてます♪
ということで、僕なりの歌詞解釈と
内界と外界と原因と結果の関係性と思い込みの力の話でした!
ぜひ嫌な気分になってしまったときとかは
この話を思い出してやってください^^
ではでは!
PS.
BUMPの歌詞は奥が深いことが多くて、
こうやっていろんな気付きをくれたり
心の支えになったりしてくれるので、
僕はすごく好きだし、
BUMPが好きな人って、
多分、似たような理由で好きな人が多い気がしてます。
と同時に、僕もそんな風に、
自分の音楽で人の心の支えになったり
人を勇気付けたりしていきたいと
強く思っています。
PS2.
2015/1/3に、僕のオリジナル楽曲
「カルペディエム」が公開されました!
ずっと温めてきた、僕の渾身の1曲です。
良かったら聴いてやってください。
PS3.
ちなみに、
延々と最初から最後まで
究極的にこのことだけを歌ってる歌を
知ってるので、紹介しておきます。
RADWIMPSの「救世主」という曲です。
【君の吐く息を今日も世界は吸ってる】
っていう歌詞があるんですが、
僕はこの表現が大好きです。
まさに今日僕が書いたテーマのことを
ずばりワンフレーズで表してくれています。
それから
【君の瞬きのような命だけど
この世界は君のその手の中】
っていう一節も、僕にとっては
尋常じゃなくパワーのある言葉です。
素敵な曲だと思うので良かったらぜひ聞いてみてください