こんばんは、ひろつぐです。
最近、嬉しいことに
「ひろつぐさんのメルマガよむのが
毎日の楽しみになってきてます。
習慣?こわいですね。
ぜひぜひ21日過ぎても続けて頂きたいです。」
こういったお声をいただくことが
できるようになってきました。
ありがとうございます!
確かに習慣とはおそろしいものですね、、
僕も、21日間が過ぎても、
習慣のパワーのせいで
続けざるを得ないかもしれません。。笑
それに、情報発信を日課にし始めてから
自然と
「今日のメルマガのネタはなんにしよう?」
とアンテナが立つようになってきたので、
メモ帳にネタがどんどん貯まっていっています。
(ネタが浮かんだらiPhoneのメモ帳に
メモするようにしています)
ほんとに、なんでもないような日常の
ほんの些細なことでも、
全部が情報発信のネタになってしまうなと
実感しています。
前にも書いた通り、やっぱり人は
アウトプットを前提にしておくと
インプットの質があがるなと
改めて肌で感じています♪
※参照記事
→自分から情報発信をする7つのメリット。ガラスの目をした猫のように。
後、どうでもいいですが、個人的に
最近タイピングのスピードが
かなり早くなってきた気がします笑
(もちろん世界で見たら
全然しょぼい方だろうけど…)
それから、前の僕の紹介で
早速メルマガを始めてくれた人が
ちゃんと毎日メルマガを書いていて、
僕も読まさせてもらってるんですが
なかなかいい感じです♪
(まずは本人と僕だけが読者で
メルマガを送っているという人もいます)
僕もその人のメルマガに返信したり
その人も僕のメルマガに返信したりしながら、
いろいろお互いに気付くことが多くて
かなり楽しくなってきました♪
まだ情報発信を始めてない人は
Facebookやブログからでもいいので
ぜひ始めてみてほしいなと思います。
メルマガやってみたいという人は
前におすすめのメルマガ配信システムを
紹介したので、参考にしてみてください!
僕からのオリジナル特典もありますので♪
参照記事
→エキスパートメールクラウドのオリジナル特典。成功のサイクルと日常のアンテナ。
ということで、今日も
そのネタ帳の中から1つ。
この間、夕飯にキムチ鍋を食べてたときの
母親のさりげない一言から、
思うところがあったので
それをシェアしてみます。
最近寒くなってきてて、
我が家では夕飯に鍋を食べることが
多くなってきたんですが、
それは、僕の大好きな
キムチ鍋を食べていたときのこと。
母親が貝(アサリかシジミかハマグリ?)
を見て、ふと
「世界には2つと同じ模様の貝はないらしんよ~」
と言いました。
僕はそんなこと考えたこともなかったので
この些細なたったひとことが、
けっこう衝撃的でした。
そして、この母のひとことが
僕が最近よく思ってたことと
脳内でバシッとリンクしました。
僕は今までにさんざん、
「”価値を提供する”とは
“新世界を見せること”であって
それは”新しい視点を与える”ということで、
それができれば当たり前のように
お金も後からついてくるから、
だれだって自分の好きなことで
生きていくことができるんだ
(お金は価値を数値化した紙だから)」
ということを話してきましたが、
【そもそも”価値”とはどこからくるのか?】
ということを最近ずっと考えていたんですね。
つまり、価値の源泉はどこか?
という話なんですが、僕は
【価値とは”違い”から生まれる】
と思っています。
【価値とは”差”から生まれる】
とも言い換えられるかもしれません。
まさに、このことをキムチ鍋の”貝”が
「世界には2つと同じ模様がない」
ということを通して、
僕に必死に伝えてくれてたように
思えたんですね。(貝、心の叫び)
つまり、人とは違った
【自分にしかないもの、自分にしかできないこと】
に、価値が宿るんだと思います。
でも、不思議なことに、
周りを見回してみると、
「人と違うのはいけないこと」
「人と違うことをしたらダメ」
「なるべく人と同じでいよう」
みたいなことを、
考えてる人が多いなと感じます。
(正確には”考えさせられてる”のかもしれませんが)
僕もまだそう思ってしまうときも
たまにあったりしますが、
“違い”に価値があるはずなのに
それがなんとなく”悪”みたいになっていて、
“同じ”であることが
“善”みたいな風潮がある気がします。
「なんでそうしなきゃいけないの?」
って尋ねても、みんな口をそろえて
「それが常識なんだから!」
みたいな感じで。。。
これは、小さい頃から
日本の教育過程の中で
「みんなで同じ制服を着て
みんなで同じ机で同じ椅子で
同じように前を向いて先生の話を聞いて
同じ時間に同じことをする」
という制度によって、
「みんなと同じことをしなきゃいけない」
みたいな空気感の中で
ずっと過ごしてきたせいでも
あると思うんですが、
そのせいで、
本来あるはずのその人の”価値”が
押し殺されてしまう可能性も
かなり大きんじゃないかなって
思ったりしています。
もちろん社会の秩序のために
少なからずそういったルールは
必要なのかもしれませんが、
ほとんどの”常識”と呼ばれるものには
あんまり価値がないかなと思います。
だって、”常識”なんて
ほんの一瞬で”コロッ”と覆ってしまうものだから。
参照記事
→昔の非常識が今の常識になったように、今の非常識は未来の常識かもしれない。
だから僕は、
わざわざ自分の信じることを曲げてまで
みんなと同じになる必要なんてないと思っています。
例え仲良しな友達が
「おれ生物の授業好きじゃないんだよね」
って言ってたとしても、
自分が好きなら
「僕は好きだけどさ」
ってちゃんと言うべきだと思うし、
逆に、
嫌なことは嫌って言うべきだと
思っています。
それこそが、本来の人間の
あるべき姿なんだと思います。
(もちろん、人を否定するべき!
とか言ってるわけではありません。
むしろ否定から生まれるものは
なんにもないと思ってます)
そうやって自分に正直に生きていけば
自然と他の人との”違い”や”差”が
どんどん大きくなっていって、
自分の価値をどんどんあげていくことができますよね。
だってそもそも、
もともとがみんな1人1人違うわけだから、
自分に正直に生きるだけで
勝手に人との違いはどんどんと
大きくなっていくはずだから。
ビジネスの世界でもよく
「売り上げを大きくするために出すにはライバルとの差別化が大事」
とか言われたりするんですが、
そもそもライバルなんていないと
僕は思っています。
僕は貝だし、あなたも貝だからです。
(勝手な貝呼ばわりスミマセヌ。。)
つまり、
僕は、僕以上にも僕以下にもなれないし、
だからこそ僕にしかできないことがあって
あなたも、あなた以上にもあなた以下にもなれないし、
だからこそあなたにしかできないことが必ずあります。
常識なんか気にせずに、
それをやるべきだと思うんです。
それがなんなのかわからない人も
もしかしたらいるかもしれませんが
これは意外と簡単に見つかったりすると
思っています。
自分の使命や天命は
(この世に生まれた意味や
この世でやるべき宿題)
“ワクワク”だったり
“好き”ということを
【唯一の合図】として、
神様が僕らに教えてくれていると
僕は思ってるんですが、
みんな社会の荒波にもまれて
自分を押し殺すことに慣れてしまい
自分のワクワクすることや
自分の好きなことや
自分の夢がなんだったのかを
知らない内に忘れてしまってるだけなんだと思います。
だからこそ、周りなんか関係なく
もっともっと
【自分にしかできないこと】をやって
みんな好き勝手に生きてほしいなって
思うし、
結果的にそれが、大きな価値となって
社会の役に立ったり、
人を楽しませたりするんだと思います。
子供の頃に描いてた夢も
大人になるに連れて周りの人が
「夢なんて叶わないよ
好きなことで食べてくなんてできないんだから、
夢見すぎるのはやめときな」
みたいなオーラを出してきますが
そのオーラを醸し出してくるのは
夢の叶わなかった大人だけです。
夢の叶え方を知らずに
大きくなってしまった人だけです。
そんなオーラに押しつぶされる必要はないと思います。
もっと言えば、ほんとはみんな
心の奥底にいつまでも夢を持ってるし
どこかで諦めてないと思います。
諦めたふりをして
ほんとの自分を押し殺してるだけ。
僕は、絶対に夢は叶うし
むしろ叶えなきゃいけないと思ってます。
だからこそ僕はいつも、
「いかに自分にしかできないことをするか
いかに人とは違うことをするか?」
ということ意識しながら
生きてたりします。(ときに貝を食しながら)
そして、自分の夢を叶えたい人や
目標を達成したいという人にも
これを常に意識しながら
毎日を過ごしてみてほしいなと
思ったりしてます。
そうすることで、きっと今よりも
もっと人を楽しませることができるようになって
もっと価値を提供できる人になって
もっと自分の生活も豊かになって
どんどん夢にも近づけるようになるんだと
思うからです。
結局何が言いたかったかというと
「常識なんて関係ナッシング!
例えそれが人と違うことだとしても
自分の好きなこと・自分にしかできないことを
楽しみながら突き詰めていって、
【貝になるべし!!!】」
ってことですね♪
僕も、貝のように
世界には2つといない存在に。
ということで、
今日はキムチ鍋の貝から学ぶ
価値の源泉というお話でした!
【価値=違い】
↑これ、来週の期末テストにでるみたいですよ
ではでは!
PS.
私は貝になりたい。by.Hirotsugu