こんにちは、ひろつぐです。
今日も無事に朝一神社参拝、
実行してくることができました。
昨日の夜は雨が降っていたみたいで、
心なしか神社の空気がいつもよりも
さらに澄んでいたような気がしました。
参拝後、近くのカフェに入って、
今日も朝活でこれを書いています。
神社の澄んだ空気を、このメルマガにも、
込めていく意識で、祈りモードで書いていきます。
ぜひ、今日も、
「このメルマガから人生を変えるような
大きな気づきのヒントが得られます…!!」
と祈って(意宣って)から読み進めてみてください。
それではいきます!
さて、前回は、
「過去に囚われず、今を大切にする。」
ということをお伝えさせていただきました。
『他人を責めている時も、
自分を責めている時も、
〝過去に囚われている〟ということ。
でも、最も大切にしなければいけないのは、
〝現在、只今(ただいま)〟。』
というお話でしたね。
「今」という時間を蔑ろにして、
「過去」という、もう過ぎたことに
いつまでも囚われているのは勿体無い。
僕らの命なんて、どうせ、
「いつか終わる小さな灯火」。
どんな風に過ごしても、
どうせ皆んな最期が来る。
だからこそ、過去に囚われずに、
今を大切に生きていこう、
というようなお話でした。
前回はこんな感想メールが
多かった印象です。
「私は過去にやってしまったことに
ずっと罪悪感を感じていたのですが、
今日のお話を聴いて自分を少し許すことができました。」
「ずっと許せない人がいたんですが、
本当の自分の人生を歩み始めるためにも、
もう心の中で責め続けるのは辞めようと思えました。」
ずっと許せなかった自分の事も、
ずっと許せなかった他人の事も、
少しずつ許しを出していってみましょう。
日々これを意識して過ごしていくだけで、
人生の物語が驚くほど進み始めるはずです。
もちろん僕自身もまだまだ
自分のことを許せなくなるときや
誰かのことを許せなくなるときがありますが、
少しずつ一緒に許していけたらと思います。
ちなみに、ゆにわ塾でも
こんな教えがあります。
『多くの人が
自分を被害者だと思って、自分を責めて罪悪感に浸ったり、
相手を加害者だと思って、相手を責めてしまったりする。でも、神様からすれば、それは同じこと。
だって、私たち人間は皆んな、
神様からの〝分け御魂(みたま)〟を持った存在。いわば、全員が「神様の分身」。
だから、
自分を責めることも、
相手を責めることも、
どちらも、神様を責めることになるんだよ。』
この考え方を聞いた時、
僕はハッとさせられました。
「あぁそうか・・・
自分を責める事と他人を責める事は、
同じ意味なんだ・・・」と。
神様がいるとかいないとか、
そういうのはいったん置いておいて、
この、
『自分を責める事と他人を責める事は、同じ』
という考え方ってとても大切だと思います。
確かに、よくよく考えてみると、
よく自分を責めて罪悪感に浸る人は、
同時によく人のことも責めがちです。
自分が罪悪感で苦しんでいる状態なのに、
人が楽しそうに生きているのを見たら、
「自分はこんなに苦しんでるのに、
なんでこの人は苦しんでないんだ!」
という想いが湧いてきちゃったりしますからね。
そして、その人の欠点を一生懸命探して、
その人のことも責め始めてしまうわけです。
つまり、ダメな自分を責めて罪悪感に浸っている人は、
ダメな自分を許して苦しみから解放されている人を見ると、
まだ許せず苦しんでいる自分を否定された気分になるので、
結果的に人のことも許せなくなる、という仕組みですね。
逆に言えば、よく人を責める人というのも、
「自分の許せていない部分を
相手を通して見ているだけ」
だから、これも結局、
自分を許せていないだけだったりします。
そう考えると、
『他人を責める事と自分を責める事は、同じ』
ということに気づけます。
ちなみに、日本では、
「お金」
に対してネガティブな印象を持っている人が
結構多いなと感じます。
「お金をたくさん稼いでいる人は、
きっと悪いことをしているんだ!」
みたいに(意識的には思ってなくても)
潜在的な意識の部分で思ってる人は多いです。
でも、潜在意識にこの想い(情報)が刺さっていると、
基本的に何かビジネスをしてお金を稼ぐことはできません。
だって、
「お金をたくさん稼いでいる人は悪だ!」
という風に、
“お金をたくさん稼ぐ人を責めている”わけなので、
もし自分もお金をたくさん稼ごうとしたら、
「自分て、なんか悪いことしようとしてるのかも…」
というように、自分を責め始めてしまうからです。
ここでも、
『他人を責める事と自分を責める事は、同じ』
なんですね。
中には、その良心の呵責的な想いを無視して、
お金を稼ぐことを頑張れる人もいますが、
基本的には、そうやって罪悪感を感じながら
何かを頑張るということは、人はできません。
ビジネスがなかなか成功できない人は、
多くの場合、この罠にハマっている可能性が高いです。
「お金をたくさん稼ぐことが悪だ!」
と潜在意識で思っていたら、
目の前にどれだけビッグチャンスが来ても、
脳がその情報を弾いてしまうんですね。
「チャンスを自ら回避してしまう」
とも言えます。
いわばこれは、
『チャンス回避プログラム』
です。
だから、ビジネスの手法とかノウハウとか、
そういうのを勉強する前に、まずはその、
「お金稼ぎ=悪」
という潜在意識のプログラムを
書き換える必要があるわけです。
そのプログラムを書き換えるためにも、
常日頃から、人に対しても自分に対しても、
「許す!(責めることを辞める!)」
というのが大切になってきます。
ちなみに、これは逆のパターンも同じで、
「お金を稼げていない自分を責めている」
ときも、同じような状態に陥ります。
例えば、ビジネスをやり始めた人が、
なかなか結果が出せなかったとしましょう。
そして、SNSとかを眺めると、周りの人は、
皆んなビジネスでどんどん成功していく、と。
ここで、周りと自分とを比べなければ良いんですが、
もし「比較意識による劣等感」が発動してしまうと、
「皆んなどんどんうまくいってるのに、
自分はなかなか結果を出せない・・・
自分は、なんてダメ人間なんだ…!!」
と、自分を責め始めてしまいます。
こうなったらもうどんどん悪循環です。
他人を責める事と自分を責める事は、同じ、
なので、結果を出せない自分を責めると、
結果を出している他人も同時に責め始めます。
結果を出せない自分を守るために、
ますます、
「お金をたくさん稼いでいる人は、
きっと悪いことをしているんだ!」
という思考になっていくわけです。
つまり、どっちにしても、
人を責めることと、自分を責めることは、
常に相互作用で循環関係にあるわけです。
誰かを責め始めると、自分を責めることになり、
自分を責め始めると、他人を責めることになる。
何かで結果を出したり成功したければ、
ノウハウとか手法とかの前に、
この仕組みに気づく必要があるんですね!
特に、ビジネスで成功したければ、
・「お金をたくさん稼いでいる人を責めていないか?」
・「お金をあまり稼げてない自分を責めていないか?」
ここをよく観察していく必要があるわけです。
そして、責めている自分を見つけたら、
「許す!」と唱えて、少しずつ責めるのを辞め始めましょう。
ビジネスをやる前に、まず、
「お金を稼ぐことに対して、
自分で自分に許しが出せている」
という状態を作らない限り、
どれだけ良い手法であろうが
どれだけノウハウが優れていようが、
絶対に大きく稼ぐことはできません。
稼げそうになっても、
チャンス回避プログラムが作動して、
見事、成功を回避してしまうから。
許しが出せていない状態というのは、いわば、
「ブレーキを踏みながらアクセルを踏んでいる」
ようなものなんで、
頑張っても頑張っても前に進めなくて苦しいだけですし、
やればやるほど車が故障してしまうように、
やればやるほど心が故障していってしまいます。
まずはブレーキを外す術を知る必要があるわけですね!
実際、ビジネスのノウハウとかなんて、
そんなに難しいもんじゃないので、
この心のブレーキさえ外せれば、
案外スルッとうまくいったりします。
人にも自分に許しを出して、
ブレーキを外していきましょう!
ということで、今回は、
「他人を責める事と自分を責める事は、同じ」
というお話から、
『人にも自分にも許しを出して、
心のブレーキを外そう!』
そして、
『チャンス回避プログラムを書き換えよう!』
というお話をさせていただきました。
この、
誰かを責め始めると、自分を責めることになり、
自分を責め始めると、他人を責めることになる、
という原理に気づいて、
許しを出すことでどんどん重りを外して
どんどん身軽になっていきましょう!
僕もそうしていきます。
そして、アクセル全開フルスピードで
理想の未来へと向かっていきましょう!
では最後に、頂いたメールを
1つご紹介して終わろうと思います。
=====引用ここから=====
ひろつぐさん こんばんは自分もうっかりソファーで寝落ちしたりして
そんな時は布団で寝た後もイマイチ調子が良くないです。人が完璧主義に陥る原因は
不完全なものや至らなさを自分や他人に対して許せないというのが有るのかもしれませんその裏にはやはりおっしゃるように劣等感、あるいは人に対して優越感をとりたいというような想いがあるのだと思います。
許すというのは許容量という言葉があるように
自分の容量、つまり器を大きくする行為なのかもと思いました。その器を大きくすることで入ってくる、留めておけるエネルギーの量が大きくなるのではないかと思います。
引き続きメルマガ応援しております。
=====引用ここまで=====
自分や他人に対して
「許せない!」という想いが生まれるのは、
その裏には「比較意識」が必ずあり・・・
そして、この方も言ってくれているように、
比較意識で物事を見ると、その先には、
「劣等感」か「優越感」か
しかありません。
人と比べて劣っていると感じたら、劣等感に浸り、
人と比べて優れていると感じたら、優越感に浸る。
どっちにしても、
人や自分を「裁く」意識であり、
そうやって比較意識で見ていると、
必ず最後には誰かを”責める”事になります。
- 「あの人と比べて自分はダメだ(劣等感)」
- 「自分と比べてあの人はダメだ(優越感)」
そうやっているうちは人生は進まないし、
何より、そんなことばっかり考えてるのって
人としてなんだか格好悪いですよね、、汗
(とはいえ、僕もやってしまうことあるので、
僕自身、注意していく必要がありますが…!!)
それから、こちら、
「許すというのは許容量という言葉があるように
自分の容量、つまり器を大きくする行為なのかもと思いました。」
この視点、僕にはなかったです!
許容量、面白いですね!
確かに、人としての器が大きくないと、
許すことってできないですよね。
逆に言えば、許そうと努力する事で、
人としての器を大きくできるのかなと思いました。
人としての器を大きくするためにも、
あらゆることを、許して許して許し尽くしていきましょう!
引き続き、今日のメルマガを読んで、
気づいたことや感じたことなど、
ぜひ気軽にメールください!
アウトプットの練習と思ってぜひ♪
それでは!
P.S.
今回のメルマガを書いているときに、
頭の中で流れている曲がありました。
SUPER BEAVERというアーティストの
「人として」という曲です。
この曲は全体的を通してずっと、
「許すことの大切さ」を
歌っているように感じます。
サビの歌詞に、こうあります。
「信じ続けるしかないじゃないか
愛し続けるしかないじゃないか
身に覚えのある失敗をどうして指差せる」
この曲を聴いていたら、
「許す」=「愛す」
ということなのかななんて感じました。
他人のダメな部分を許す。
自分のダメな部分を許す。
これもきっと、
「全方位的な愛」
なのだなと。。
SUPER BEAVERのボーカル渋谷さん、
魂が震えるような力強い歌声が
胸にズドーンときます。。
初めて聴いた時、衝撃を受けました。
すごく感化されるので、
ぜひ聴いてみてください。
▼『人として/SUPER BEAVER(ライブ映像)』※6:36〜
きっと彼らは、人として、真剣に、
とてもカッコ良い生き様をしてきたんだろうなぁと、
そんな背景がひしひしと伝わってきます。
歌に生き様が表れていますね。
本当、死ぬほどカッコ良いライブ映像です。。
僕もカッコ良く生きていきたいと思います。